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外交文書 機密電報に焼却の痕跡など

 外交史料館で、72年の沖縄返還交渉をめぐる外交文書などの一般公開が、12月22日から始まりました。「外交記録公開に関する規則」により、公開が進んでいるように思いますので、それ自体はとても歓迎しています。沖縄返還交渉について、いわゆる密約問題も先の外務省の調査ではかなりうやむやな感じで終わっているので、公開されたファイルの検証が進むことで外務省の目線や外務省の目の届く範囲で行われた有識者の検証ではなく、もっと広い目線で検証が進められる第一歩です。

 が、今回の公開では、公開された291冊の1冊から機密電報の一部焼却の痕跡を示すメモと、ファイルの目録で二重線で消され、かつファイル内には当該文書の鑑だけ残されている文書があるなど、不審な事例が見つかっています。毎日新聞には簡単な私のコメント掲載していただいています。電話がかかってきて話を聞いた時、ちょっと驚いた。
「外交文書公開:機密電報焼却の痕跡 沖縄返還密約関連で」(毎日新聞 2010.12.22)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101222k0000e010055000c.html
 問題のファイルは、「沖縄関係18 沖縄返還交渉 機密漏(ろう)洩(えい)事件(国会対策等)」。原状回復補償費の肩代わりに関する機密公電のコピーを毎日新聞の西山太吉記者(当時)が外務省事務官から入手し、それを基に野党が国会で疑惑を追及した時期にまとめたとみられる交渉過程の関連文書や想定問答などがとじられている。
 焼却を示すメモは、日米外相レベルで返還交渉の最終合意をする71年6月9日前後に行われた愛知揆一外相とマイヤー駐日米大使による会談録などの一覧表のわきにあった。「機密電報」とのタイトルで、作成日の記載はなく、「5-1」「5-2」など八つを挙げ、うち三つの隣に、「焼却5/31」と書き込まれていた。このメモ以降、会談録などが続くが、数字で示された「機密電報」が何を指し、何を焼却したかは不明だ。
 また、ファイル内容を記した手書きの目次では、番号1の「沖縄返還交渉機密漏洩事件」が横線で消され、「文書なし」と書かれていた。他の文字と違う細い線と字で、事後的に書き込まれたとみられる。実際に、目次番号2~11の文書はとじられているが、「沖縄返還交渉機密漏洩事件」は表紙だけで文書は欠落していた。
 その後の94年3月に新たにタイプで作成された目次には「沖縄返還交渉機密漏洩事件」そのものが消え、この時期までに何らかのことから欠落した可能性が高いとみられる。

「外交文書公開:機密電報焼却痕跡 情報公開消極性浮き彫り」(毎日新聞 2010.12.22)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101222k0000e010056000c.html

 この件、焼却したというメモが残っていたり、目録を二重線で消していたり鑑が残っていたりと、それはそれで意味があると思います。何をしたかという跡は残っているし。しかし、目録があるファイルだとすると、一度行政文書ファイルとして一連のものとして確定していたものから、一部だけ焼却したり抜き出して外したりということは、本来はあってよいことではないはず。ファイルから抜き出されていたものも「沖縄返還交渉機密漏洩事件」というタイトルの文書。いずれも、今回公開されたものに同様の名称に文書はないようです。内容がもはやわからないし、他のファイルに同じものが入っていなければ、記録そのものが失われているということなので、不適切なことが行われていたと考えざるを得ないかなと思います。しかも、保存期間はファイル単位でつけられるはずなので、その一部だけ保存期間が終了なんてことはあり得ませんし。ファイルを整理・編纂したということだとしても、いつの時期に焼却や抜きだしが行われたのかがわからないし、痕跡が残っているというころは、ファイルとして確定した後と考えるのが自然かなと。

 こういう過去の問題はそれとして非難を免れませんが、公文書管理法はこうした問題を教訓に行政機関の仕事の在り方をあるべき方向に持っていくよう、機能させることを目指さなければなりませんね。
 
by clearinghouse | 2010-12-24 05:05