福島県で子どもの甲状腺がんが一例見つかり、福島県民健康管理調査では、子どもの甲状腺検査で、23年度で約36%、24年度では約44%で結節やのう胞が認められるという結果が、9月11日の福島県「県民健康管理調査」検討委員会で報告されました。

 結節やのう胞を認められたもののうち、0.5%を除いては再検査等が必要のないものとされたり、甲状腺がんもチェルノブイリでは事故後4年で発現ということなどを理由に、福島県立医大の教授が放射線の影響を否定したりと、普通の人々の不安や心配とは別次元のことが繰り広げられています。

 こういう光景を目にするたび、強く思うことがあります。それは、県民健康管理調査には、公共政策、疫学調査、個人の健康管理という3つの側面が重なり合い、またそれぞれの利害を別に存在しているということです。

 県民健康管理調査は公共政策としての側面は、県民の健康管理を行い見守り、全体の状況や傾向についての結果や経過に応じて必要な施策を行っていくということです。その中に、異常を示した場合の対応も含まれると思います。個人の健康は、こうした公共政策に支えられている部分も大きいことは事実です。

 疫学調査としては、一定の条件の下の被験者の情報を収集し、経過をマスで見ることで、異常値や疾病の発現傾向などから、そのメカニズムの研究、予防や治療に役立てることになります。これも、個人の健康を下支えしていることは事実です。

 しかし、いずれも、「県民」や「被験者」というマスで物事をとらえ、対象集団の中での他者との差異で個々を認識します。また「県民」というくくりでは、補償・賠償や、医療費などのコストといった「負担」の問題と表裏一体でもあり、そういう意味では、社会コストの問題として公共的選択を行政的視点から行うということになります。「被験者」というくくりでは、事例の提供者であり、今回の原発事故のように対象者が大規模になると、それだけ研究としてその世界では注目されるため、そのデータを独占的に用いれる機関や研究者にとっては、大きな利益のあるものであり、多様な事例が集まれば集まるほど、研究対象としての意義が出てくるということだと思います。

 しかし、個々人にとっては、あくまでも県民健康管理調査は自分にとって必要なものであり、健康は自分や家族にとっての日常であり、日々向き合うものであり、そして誰かと比較して軽重を決めるものではありません。少なくとも、何かが起こってからでは遅く、そうなっては治療と補償のみが救済方法で、本人や家族の失ったものは戻ってきません。できることはリスクを理解し、予防に努め、早期の対応を自分たちでも選択していくことです。

 そう考えると、県民健康管理調査での甲状腺検査結果は、現状では判定結果のみ通知されていて、検査結果の一次情報が一部の機関に結果的に独占され、本人が利用しにくい状況に置かれています。当事者をなおざりにしたものと言わざるを得ないです。現在、個人情報保護条例に基づく本人開示請求により、甲状腺検査の結果が開示されていますが、これは当事者に寄り添っていない、消極的な対応であり、さらに一歩検査結果の本人開示を進めるべきです。

 今は、公共政策、疫学調査としての利用に偏りすぎている。公共政策の失敗の結果起こった重大事故なのだから、健康管理調査の甲状腺検査結果など個別の医療的検査結果は、当事者中心に、個人の権利を保障し、個々人に寄り添うものとして実施すべきだと思います。調査対象集団に組み込まれた個人ではなく、個人の権利の保障の上に調査が実施されることが、本当の意味での公共政策ではないかとも思うのです。
 
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by clearinghouse | 2012-09-15 00:30

 発表からだいぶ時間が経ってしまいましたが、8月30日に、原子力委員会が秘密会合問題を受けて、会議等の記録作成やいわゆる準備会合の扱いについての取り扱いを発表しました。

  原子力委員会における「会議」に向けての準備等会合の取扱い(暫定版)
 原子力委員会における決定文書(案)を作成する標準的な手順(暫定版)

 原子力委員会は、会議の準備段階で事業者等も集めて資料作成などのために秘密会合を行っていたこと、その場で政策決定にかかわることについても意見交換が行われてきたことが問題となってきました。この辺りが明文ルール化されたことは、それはそれで意味があると思っています。どういうフローで物事が決るのか、アカウンタビリティを担保するために何をする必要があるのかは、その決定の正当性や妥当性を裏付ける上での基礎となるもの。ここが慣行・慣例的に行われて外から見える化されていないと、信頼の基盤となるものがそもそもないので不信感しか生まないからです。

 今回発表された「原子力委員会における「会議」に向けての準備等会合の取扱い(暫定版) 」では、「会議を開催し、議決を行うためには、委員長及び2名の委員の出席が必要」であり、この三者以上が同席する会合が開催できる場合を決め、その場合は職員を同席させるということをルールとして確認をしています。一方、1名又は2名の委員が、職務上の必要から調査、分析、情報収集等を行うために、有識者・専門家等と非公開で意見交換をする場合は、その概要を記録することとしています。

 要は、この会議・会合では意思決定は行わないこと、しかし原子力委員会の会議を効果的・効率的に行うための事前の事前準備は必要なので、そのための会合は行うが、それは意思決定過程の一部なので、中立性、公正性、透明性は確保するというということです。

 また、「原子力委員会における決定文書(案)を作成する標準的な手順(暫定版)」では、起案文書の意見反映の手順をルール化しています。どの段階で誰の意見を求めているのかは、これである程度見える化され、第1ドラフトへのコメント反映については、特に、修正過程が残るよう「修正履歴を記録する。なお、修正履歴の記録にあたっては、修正過程を検証できるよう、コメントと修正内容の対応、修正野時系列など、電子ファイルの保存方法等に留意する」とあって、履歴の記録まで具体的に言及しているのはよいと思います。とりわけ、電子ファイルの修正経緯は、どこまで記録に残すのかは、答えがあってないようなところがあり、それぞれの組織の意思決定過程に基づき、具体的に指示がされる必要があると思います。

 これらは概して前進だと思いますが、一方で、悩ましい問題を呈したとも思います。

 それは、意思決定は、「選択」の連続の上に成り立っているからです。そこには、情報の選択、誰の話・意見を聞くかという選択、外部要件としてどれに対して留意するかという選択など、いろんな選択がある。その選択は、あらゆる場面で行われていることで、会議に出てくるのはある程度その選択の方向性が決まった後のものだと言えると思います。「委員長を含む三者以上が同席」する会合や、委員が単独、あるいは二人で有識者や専門家等と非公開で意見交換を行う場合を、意思決定過程の一部と確認し、記録の概要を作成するということは、現実的にとり得る対応だと思います。だから、このルール化が第一歩であることは間違いない。。

 ただ、委員長を含まない三者以上の会合というのは、記録化の対象になっていない。ここは少し疑問が残ります。委員長以外で3人が集まることもあり得ると思うから。原子力委員会の会議のあり方と対比されるアメリカのNRCの記録作成ルール(3人以上集まると記録するというもの)も、二人ずつ調整等を行っていけば義務的記録作成の対象外になるという抜け道が指摘されています。だとすると、委員長ともう一人、その後そのもう一人と他の3者という組み合わせで調整をしていくと、記録化されずに方向性がきまってしまうこともあり得ます。

 今回は、跡付けできるよう意思決定の記録を作成するとしていますので、このルールを基本にして、しかし、ルールになっている部分は記録作成をするけど、それ以外はしなくてもよいという組織文化ではなく、ルールは必ずやる、それ以外も常に刻々とプロセスがおえるように記録化、文書化をしていってほしいと思います。

 というのも、公文書管理法では文書の作成義務が規定され、それはそれで良かったのですが、一方で何が作成義務の対象か(違法になるかならないか)という線引きに熱心に見え、本来アカウンタビリティを果たすためにどうすべきかという文書作成義務の前提がないがしろにされている気がするからです。ルール化は非常に重要、でも、それ以外はやらないでよいということだけにはならないでほしい、そう思います。
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by clearinghouse | 2012-09-11 01:16

 スリーマイル島原発事故当時にアメリカの原子力規制委員会(NRC)の委員だったピーター・ブラッドフォードさんをむかえ、以下のようなフォーラムを行います。経済合理性がない原発からの脱却を訴えており、アメリカの有力なNGO「憂慮する科学者同盟」の副会長として、この間、福島原発事故やアメリカの原子力政策について、様々な発言をされています。また、メーン州とニューヨーク州の第三者機関の委員長として、州政府の原発への関与を注視させるなど、自治体政府での経験も豊富です。

 ブラッドフォードさんに加えて、原子力委員会委員長代理の鈴木さん、原子力資料情報室共同代表の西尾さん、弁護士の三宅さんで、討論も行います。ご都合がつきましたら、ぜひご参加ください。


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世界知る権利デー記念フォーラム

 原子力発電所と情報公開 ~福島原発事故以前、以後の世界
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 2012年9月22日(土) 13:30~16:30
 明治大学リバティータワー1012教室(東京都千代田区神田駿河台1-1)
 定 員 200名(事前にお申し込みいただいた方を優先で当日直接参加も可)
 参加費 1,000円(情報公開クリアリングハウス会員無料)
 主 催 特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウス


 参加事前お申込み(SSL対応)  https://ssl.kokucheese.com/event/entry/51521/

 PDF版のちらしはこちらからダウンロード http://bit.ly/TcjUVd

 基調講演
 「スリーマイル島原発事故以前と以後のアメリカの原発をめぐる議論と情報公開」
   ピーター・ブラッドフォードさん(元アメリカ原子力規制委員会(NRC)委員)

 報告「日本における原子力発電所の情報公開」三宅 弘さん(弁護士)

 討論「原子力発電所と情報公開~原発事故以前、以後の世界」
   ピーター・ブラッドフォードさん
   鈴木 達治郎さん(原子力委員会委員長代理)
   西尾 漠さん(原子力資料情報室共同代表)
   三宅 弘さん

<ピーター・ブラッドフォードさん>
 1977~1982年まで原子力規制委員会の委員を務め、この間、NRCはスリーマイル島原子力発電所事故の発生を受けて、大幅な規制の強化を行い、その実行プロセスを担った。現在、バーモントロースクールの非常勤教授として「原子力と公共政策」の講義を担当。エール大学でエネルギー政策と環境保護の客員教員を務めている。以前は、電気事業再構築に関する法律の講義を担当していた。また、国内外で電力事業に関する規制、再構築、原子力やエネルギー政策について教え、助言を行った。
 バーモントヤンキー原子力発電所の総合縦断影響評価に関する監視委員長、複数の州で原子力発電所に対する投資についての専門的参考人、テキサス・バーモント低レベル放射性廃棄物協定委員会のバーモント州選出議員。1987~1995年までニューヨーク州の公共サービス委員会の委員長を務め、ショアハム原子力発電所を廃炉にし、1982~1987年までメーン州の公益事業 委員会の委員長を務め、この間シーブルック原子力発電所にメーン州の関与を中断した。2007年のキーストーンセンターの原子力発電所に関する協働事実確認、2006年のニューヨーク州のインディアンポイント原子力発電所の運転継続の代案を評価する国立科学アカデミーの委員会に参加した。また、州や連邦政府のエネルギー規制委員会に経済規制政策と環境保護に関する支援を提供する規制支援プロジェクトに加わっている。

<フォーラムの趣旨>
 福島第一原子力発電所の事故は、これまでも様々な議論のあった日本社会が抱えている「原子力発電所」が、「事実」や「前提」、「未来」について多くのことを市民も共有した上で選択をしてきたものなのか、という疑問を思い起こさせました。
 社会にあまりにも甚大な影響を与える原発事故が発生した今、なぜ事故が起こったのか、事故対応、その影響・被害、事故そのものの情報など、今もこれからも多くの情報公開が必要です。しかし、それだけでなく、原子力発電所というものの経済性、合理性、公共性、安全性、将来性、合意性などについて、合理的で 信頼できる情報の公開が何より必要であり、政府のアカウンタビリティの徹底と一層の市民の知る権利の保障を勧めなければならないと考えています。
 くしくも、原子力規制庁の発足、原子力規制委員会委員の人選と、今後の原発の在り方を左右する事柄が課題になっています。アメリカの原子力規制委員会は、スリーマイル島原発事故を経て、どのように規制の在り方が変遷し、情報公開が進められ、公共政策としての原子力に関しどのような議論が行われているのか。福島原発事故を経た日本のこれかあり方も含めて、議論をする機会にしたいと思います。

<世界知る権利デーとは>
 2002年に始まったInternational Right to Know Day(9月28日)。世界中の情報公開に取り組むNPO・NGOが参加をするFreedom of Information Advocate Network(FOIAnet)が呼びかけ、9月28日前後に世界中で知る権利を擁護し、促進するための様々な取り組みが行われています。日本のNPOでこれまで参加しているところがありませんでしたが、2012年より情報公開クリアリングハウスがFOIAnetに加入し、取り組むことにしました。
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by clearinghouse | 2012-09-06 23:51

 原子力規制委員会の人選には、異論噴出で国会同意の採決は見送られ、国会閉会中に首相が任命、次の臨時国会で衆参両院の同意を得るという方向になるというニュースが。

 新しく立ち上がる原子力規制委員会が、国民に向いたものになるのか、それとも従来のからのムラを向いたものになるのかは、今後の政府の政策・方針を方向づけるものになるので、どういう人が委員になるのかは、推進・反対派ともにゆずれないところです。委員の人選によって、組織や委員会に少なくない影響をもたらすと思いますが、一方で、たとえ脱原発、原発慎重派の人選がされたとしても、それでよしともできない問題であろうと思います。

 よく聞く話に、政府の中の人も、この人は話がわかっているとか、この人が第三者機関の委員に選ばれていてよかったとか、こういう人が政府委員会に入っていてよかったなど、個人を評価するものがあります。個々人をみると、良い人はたくさんいますし、軸はしっかりと持ちつつ広い視野を持っている人もいます。問題は、そういう人たちがいてもなお、組織の体質や文化が変わったとは言えない場面に多々遭遇することです。

 そう。良い人がいるということは、その人を信用しているというだけにすぎず、その人が働いている、あるいは属している組織や機関そのものの信頼性までも向上させているとは限らないということです。

 こう考えると、原子力規制委員会の委員の人選は、そもそもの人を信頼できるかという意味では異論が噴出しているところですが、では望ましい人が委員になった場合に、その人個人が信用できるだけで足りるか、ということはちょっと違うと思うのです。

 課題は、人選をどうするかということだけでなく、公開性、アカウンタビリティを高めるために、どういう組織を作るのか、というところがとても重要ではないかと思います。そう、その人は信用できるかどうかは開かれた組織の必要な条件ではありますが、それで十分ではない。望ましい人選が、その本来の力を発揮するためには、組織そのものが開かれるような仕組みや仕掛けをその中に入れておかないと、孤軍奮闘、多勢に無勢、朱に交われば赤くなるなどなど、いろんな状況が起こってしまう。

 そう思うので、原子力規制庁や原子力規制委員会がどういう信頼性を獲得するために何をするつもりなのか、そこもちゃんと見たい。とくに、信頼性は客観的な記録を通じたアカウンタビリティから出発をすると考えているので、どういう情報公開を進める組織となるのか、そこを注目したいところです。
 
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by clearinghouse | 2012-09-04 00:27