2012年 03月 19日
行政文書と個人メモの境界はどこか、個人メモとは一体何なのか
この間の、秘密保全法制有識者会議の議事録未作成、議事メモ廃棄問題を考えていて、こういうこれまでの通説というか、解釈運用について何だかずっと引っかかっていたことがちょっと解消した気分になったので、思いつきの備忘録。
「メモ」という言葉がどういう場面で行政組織内で用いられているかは、省庁ごとに違うと思いますが、自公政権時の秘密保全法制を検討していた検討チームの議事概要をみると、こんな使われ方をしています。
※以下のものは情報公開請求をして入手したもので、全文書は以下に掲載しています。
http://clearinghouse.main.jp/wp/?cat=21
一つは、右上に「メモ」「関係者限り・用済み後廃棄」とあります。二つ目は、「メモ」「特に厳重な取扱いを要する」とあります。いずれも、「メモ」と書いていますが、私の情報公開請求に対して部分公開をしていますので、「個人メモ」という扱いではないということがわかります。個人メモに出来なかったのは、議事概要という性質上、構成メンバーには配布しているからということに過ぎないと考えられます。そう思うのは、一つは「関係者限り・用済み後廃棄」わざわざ書いてある。だから、保存期間満了後廃棄ではなく、それとは別に廃棄をすると読めます。この「用済み後」というのは、組織的判断なのか、それともこの文書を取得した職員個人の判断なのかという疑問があります。もう一つは「メモ」だけど取扱い厳重注意です。メモという性質に対して、取扱いの厳重さを求めるというのも、ちょっと変です。組織的な管理のもとにおくのかどうか、こちらもこれだけではよくわかりません。
こういう「メモ」という扱いと、秘密保全法制有識者会議の議事メモ廃棄、それとこの前の記事で書いた以前に私が争った司法試験委員会の録音物の行政文書該当性の答申を考えると、そもそも個人メモという分類を行政機関が積極的に利用して情報公開法や公文書管理法の対象とすることを回避していること自体が、今の情報管理の問題に直結しているのではないかと思います。
というのも、司法試験委員会の録音物の行政文書性を争ったとき、非公開の会議を勝手に録音して、個人メモとして個人の裁量的判断のもとにおいておくこと自体が適切ではなく、組織的な管理のもとにあるべきものという方向性が答申で示されました。要は、非公開とすべき内容の文書を、個人メモという形で個人の裁量的な管理・利用に委ねることは問題ではないかということだと思います。そう考えると、秘密保全法制の有識者会議も、会議の内容を非公開で行なったということは、その妥当性はともかくとして、非公開の内容を記録したメモを、個人裁量での管理・利用に委ねること自体が、非常に情報管理の観点から問題ということに、本来はなるのではないかと思います。
そう考えると、実は、秘密保全法制のようなものを作って、「行政文書」ベースでは秘密指定をして人的、物理的管理をしたとしても、その行政文書を利用した職務をするうえで作成される、個人メモについては行政文書として組織的管理の外に出てしまうことになる。行政文書としてどう管理するかだけに注力していると、一方で日常的に職務上作成するいわゆる「個人メモ」は同じ秘密の内容を含んでいたとしても、公文書管理法の対象にもならない。秘密保全法制が、「行政文書」ではなく「情報」「コンテンツ」ベースで保全するとしても、一方で個人裁量的な管理下に置かれるメモがあっては、物理的管理としては穴だらけということになるのではないかと思います。
なので、行政文書から「個人メモ」を除くということは、職務上作成取得されている情報のうち、組織的管理の対象外とする情報をいたずらに増やしているだけであって、そういう状況で秘密保全法制を検討していたということは、頭隠して尻隠さず状態なのではないかということであります。秘密保全法制ではなく、まずは「行政文書」から「個人メモ」を熱心に取り除くのではなく、個人メモも行政文書としないと、情報管理上はよろしくないというところから、議論をした方が良いのではないだろうか、ということが、要はここ数日の結論です。また、考えが変わるかもしれませんが…。