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報道機関に圧力かけるという発想は、説得力のない政治の現れ

 思うとおりにならない報道機関には圧力をかけるという、何ともさもしい発想をされる国会議員がいるようで、政治の劣化程度では済まない、幼い大人たちが跋扈できるところが国会というところなんだと、実感するこの頃です。この問題については、表現の自由の問題や政治家の資質など、批判と問題指摘がすでに多くされていますが、他にも気になるところがあります。

 そもそも、今回の報道機関に圧力かけて言うことを聞かせようという発想は、一朝一夕に生まれたものではないことは、この問題に関心を持つ人の共通認識であると思います。この間の朝日問題やら報道に関わる様々な問題で、報道機関をたたくことが、一定の政治家層にとっては支持者にアピールする手段になっていることは確かです。

 ものごとはまずは事実を共有しないと、議論なんてできないと思いますので、事実が異なっていればその都度修正や訂正が必要です。この事実認識も、自分の都合の良いところだけつまみ食いしていくと、「為にする議論」になり、さらには都合の良い事実関係から逸脱するとあっという間に行き詰るので、反論や異論は馬鹿にして自分の主張を一方的に述べて、勝った気になるというような何とも程度の低い話になります。

 そうすると、勇ましくしていることがアイデンティティとなり、深みも葛藤もない言論がはびこることにもなりかねない。つまり、言葉も内容も説得力がないので、同じ枠の中にはまっている人同士は共感できても、その小さな輪の外からの批判や追求は厳しくなる。そうすると、もっているパワーを使って自分たちの決めたいとおりに決めるために会期を大幅に延長してみたり、かみ合わない議論は相手が悪いということにしてみたりと、何だかなという状況が散見されるようになって、うんざりする人が出てきて政治不信を助長していくというありがたくない副産物を社会にまき散らすことになったりするわけです。

 とにかく何においても、批判や異なる意見や見解を受け止めて議論をするということは、推進・反対側共にそんなに得意とは思えないこの社会で、ねじ伏せるか押し切るかというチキンレースの様相を呈してくる。ここのところ、たいがい反対でねじ伏せられないので、力に任せて押し切られて、ずりずり下がり続けている感が否めないところがあります。

 結局こういう状況って、異なる意見や見解を持った人同士が議論をして妥当なもの、合理的なものを見出していくということができませんって政治が宣言しているようなもの。玉砕体質のようなもののにおいが漂ってきます。

 そして、そういう状況を作り出している人たちの言う安全保障とか外交って一体何なのかと思うわけです。相手が言うことを聞かない、自分の思うとおりに行かないという相手のある安全保障や外交で、いったいまともに説得力のある言葉や内容を伝え、交渉の枠組みを作っていく構想力があるのだろうかというと、非常に心配になってきます。というより、あるとはとても思えない。

 国内だと、報道機関に問題があると圧力をほのめかしたり、反対派をわかっていないと馬鹿にしてみたりで、さまざまなものを捻じ曲げてでも独善的に自己正当化をすればよいかもしれないけど、それがそのまま外で通用するとはとても思えない。国内ですら説得力のない政府が、国際社会で説得力を持っているとは思えないですよね。こういう今の政治を象徴する存在が、言うことを聞かない報道機関を調教したいかのような議員の皆さまということになるのかなと思うわけであります。

 報道機関への圧力をかけるということは重大な問題なので、それにはNoを言いつつ、これは政治の体質を表しているけど、この言動と体質が安全保障が外交の場で発揮されてしまう可能性があることにも焦点化しないと、同じ光景を延々と繰り返しそうです。
 
by clearinghouse | 2015-07-01 23:17