沖縄と公文書館

 沖縄に行く機会があり、所用を済ませたあとも延泊し、都合5日間ほど滞在して地元の市民団体の人とあったり、勉強会を開催してもらったり、沖縄県公文書館を見学に行ったりと、かねてからの念願かなっていろいろと見聞きしてきた。普天間基地を見、普天間基地の移転先とされている辺野古の海も見て来た。辺野古では海を眺めていたら、晴れ間と雨間のほぼ境目に立っていたせいか、すぐ目の前から鮮やかな虹が海から空にかかり、光の加減で色が刻々と変わり、そして途中から虹が二重になっていったん消え、また虹が現われ、と、海と空に歓迎してもらったような何ともうれしい気分。ただ、現地では本当にいろいろな方にお世話になってしまい恐縮。

 ところで、沖縄といえば公文書館、という印象が私の中にはある。沖縄県公文書館が米軍統治下の記録や返還に関する記録を米国公文書館等から収集し、公開していることを以前から知っていたこともあるが、当時の記録のほとんどが日本国内ではなく米国公文書館などアメリカサイドからしか出てきていない、という何とも情けない事実の裏返しでもある。この間、沖縄返還当時や米国統治下、戦中の記録がさまざま発掘され、沖縄のメディアを中心に報道されているが、みな、米国公文書館を中心に、その他、アメリカ国内の歴史的文書を保管・公開している機関から発掘されたものばかり。

 アカウンタビリティの基本として、民主主義を支える基盤として、自らの活動を徹底的に記録に残し、残すべきものは歴史的文書として残すサイクルが徹底しているアメリカに比べ、日本はそうした仕組みはない。もちろん、アメリカも残された記録がすなわち公開されるわけではないが、いずれにしても記録が残されいずれは公開され、検証・評価される可能性の元で仕事をしているのと、日本のように記録の作成が不徹底で、後世の検証・評価ができなような元で仕事をするのでは、緊張感も責任の果たし方も違ってくるだろう。どのように記録を作成し、残していくかは、将来の話だけではなく、現在の政策決定、意思決定ともつながっている。

 こう強く確信するようになったのは、文書管理制度を制度として学ぶだけでなく、沖縄というキーワードを中心に公文書館の果たしている役割を見たことによるところも大きい。今回、沖縄へ行ったことで、ことさら強く実感したのは言うまでもない。
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by clearinghouse | 2006-11-01 23:38