『国の公的機関パブリックコメント ご意見は「聞いただけ」』

 3月15日付の東京新聞「こちら特報部」に表題の記事が掲載。なぜか、「識者」ということで、前日に私のところに電話があったので、コメントをしてみました。

 記事の内容としては、要は行政手続法が改正されて、パブリックコメント手続の実施が法定化されたが、ご意見は聞いただけ状態になり、意見を聞いたというアリバイ作りにされている、という不満が意見を出す側にあるし、そうした運用は問題というもの。これは、ずっと前からある意見を提出する側の不満。意見を出しても、その後の対応が、意見を出した側にとっては、人を小馬鹿にしたような扱い、あるいは木で鼻をくくったような扱いと受け取れるものが多く、私自身もはっきり言って、意見を出すことに意味があるというよりは、機会を与えられているのに意見を出さないのはまずい、という一念で意見を出していることの方が多い。まあ、それのむなしいこと。わかっていても、やはりそれなりに状況判断をし、資料を分析して制度そのものの分析もしてみて意見を出すので、それを自ら公表することで、ある意味制度の解説代りに皆さんに目を通してもらっているような時すらある。

 記事では、出された意見に対し「今度の検討課題に」が連発されていることなどなど、これまでのパブリックコメント手続が行われた案件での意見の取り扱われ方を引いて、なかなか具体的に問題が指摘されている。以下の一文は、私も同じ経験をしていているもの。

同制度を利用したある団体幹部は「ある審議会の答申案について、こちらが意見を作成している間に、すでに修正案が審議委員の間に出回っていたこともあった」と振り返る。

 私の場合、中間段階の案に対するパブコメだったので、加えてあとになって法案の問題提起などなどをしていたところ、某省の職員に「皆さんの意見も中間段階の案に反映したことだし、そろそろ勘弁して下さい」と言われ、のど元までいろんなことが出かかったのをぐっと我慢して、「いや、まだまだですよ」などとにっこり笑って返した、というおまけ付き。一筋縄ではいきません。もっとも、パブコメそのものの意義は、情報公開という観点からも私自身認めているところで、むしろ、意思形成過程段階での情報公開の仕組みという意味合いの方が、明らかに機能しているのがパブコメといっても良いような気がしている。

 それに、パブコメ制度だけで市民意見の反映が十分とか、市民参加の手続として十分というものではなく、パブコメ制度の仕組みとしての限界があるのも確か。国の制度の場合、いわゆる行政立法における手続なので、法律の規定を超えての行為はできず、法律そのものに対する不満や意見がある場合、政省令ではどうしようもない事柄が多々出てくることになる。それを政省令等の意思形成過程の手続であるパブコメで何とかしようと思えば、どうにもなりません、ということにもなる。この辺、自治体のパブコメは一般的には条例案の策定段階でも行うので、ちょっと違う。で、私のコメントは、以下のようにまとめられていた。

「それでも、かつては行政内部で決められるまで、動きが全く分からなかった。それが、手続法で担保された意味は小さくない」と評価する。そのうえで、こう改善案を語る。
「たしかに行政とは一往復のみで『通過儀礼』になっている。もっと早い時期に情報を示し、複数回のやり取りができなければ、市民参加には至らない。それとパブリックコメントは一手段であり、限界もある。市民の制作参加の仕組みをもっと多様化されること、それを認める行政側の文化を醸成させることが大切だ」

 こんなようなことは、以前にパブコメの研究会を行い、その報告書の中でも書かせてもらっている。以下に目次等々を掲載しているので、関心があればどうぞ。ちなみに有償頒布です。

http://johokokai.exblog.jp/5534316/

 記事そのものはネットに掲載されていないので、関心のある方は図書館ででもお探し下さい。
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by clearinghouse | 2008-03-18 01:27